どんなおはなし?
筋ジストロフィーを患う青年マッツが短い生涯を終えた。
両親は、息子が恋も、友情も、社会との関わりも、そして誰の人生にも影響を与える経験ができなかったことを悔やんだ。
しかし、彼の死を、生前彼の綴っていたブログで知らせると、その死を悼み、驚くほどたくさんのメールが届いた。
マッツはデジタルゲーム「ウォークラフト」のヴァーチャル世界で全てを経験していたと知るのだった・・・
実際の出来事を再現したクオリティに脱帽
この『イベリン 彼が生きた証』は、実際に筋ジストロフィーで若くして亡くなったノルウェーの青年マッツの生きた証を追ったドキュメンタリーです。
幼い頃、筋ジストロフィーを発症し、車椅子生活となってしまったマッツは、段々とゲームの世界にのめり込んでいきます。ご両親は心配して外で遊ばせようとしましたが、マッツの後のブログでは、自分が何もできないことにただ辛くなるだけだった・・・と語っています。
マッツにとって、自由に動けるゲームの世界こそが生きる喜びだったのかもしれません。
彼の訃報に際し、ゲームで彼を知っていたという人々からのたくさんのメールから、彼がゲーム内でどのように生きていたかを知ったご両親は救われたことでしょう。
そして、このドキュメンタリーのすごいところは、過去ログを駆使して、ゲームのアニメーション映像でマッツ=イベリンの物語を再現してしまったことです!
彼が、どのように恋して、友情を育み、人の助けをして、良い影響を与えていたのかが、アニメーションで鮮明に甦ります。
この取り組みには鳥肌が立ってしまいました。
また実際に交流した人物たちも登場して、イベリンのことを語っていき、バーチャルであっても人間同士の交流だったのだと印象付けられます。
ゲームの可能性
ゲームというと不健康なイメージがつきものですよね。私も子供達があまりゲームに夢中になっていると、大丈夫だろうか。。。と思ってしまいます。
でも、使い方によってはこのイベリンのケースのように、不自由を自由に変えるツールにもなりうるんだと思いました。
一番思い出したのは「アバター」という映画で、主人公は足が不自由でしたが、アバターに意識を飛ばすことで、自由に駆け回ることができました。
スピルバーグ監督の「レディ・プレイヤー1」も最高でしたよね!
考えてみると、バーチャル世界ではルックスを度外視して、中身(ハート)で繋がれるのかもしれません。悩みを打ち明けるのにはとてもいいツールだと思いました。でも悪い人も多いので見極めは大事になってきますが・・・
人間がここまで見事に開発したバーチャルゲームの世界を、人間の悩みや不自由さを払拭できるような良いツールとして使っていけたら最高だと思います。
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