女のためにのし上がった男
ロバート・レッドフォード版とレオナルド・ディカプリオ版の見くらべレビュー!
どんなおはなし?
中流階級のニックは、大富豪と結婚した親戚のデイジーの対岸に引っ越してくる。
郊外の小さなニックの隣にはお城のような豪邸が建っている。そこは毎夜豪華なパーティーを開催する謎の富豪、ギャッツビー邸だった。
ある日ギャッツビーのパーティに招待されたニックは彼と対面し、その堂々とした魅力的な人柄に好意を抱き、交流を深めていく。しばらくしてギャッツビーはニックに、デイジーに合わせて欲しいと願い出る。果たしてその真意とは!
フィッツジェラルドの文句なしの傑作小説
原作は言わずと知れた、スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」。「英語で書かれた20世紀最高の小説」の第2位に輝く名作である。
レッドフォード版よりもむしろレオ版の方が、セリフにフィッツジェラルド感を出すようフォーカスされていた感じ。
「輝く時は瞬く間に過ぎ去る」とか「過去は変えられる」とか力強く強調していた。美しい文体もそのままニックのナレーションとして味わえるので心地よい。
デイジーが可愛い
ギャッツビーの最愛の女性デイジー。
ミア・ファローのデイジー像は、儚げで美しく無邪気で気ままで小悪魔。衣装もレースなどの繊細なものが多くて、妖精のように美しい。
キャリー・マリガンのデイジー像は、儚げで美し無邪気なのは一緒だけど、何かいつも不安げ。2人の男の間でおろおろとしたその表情は、もう、男なら守ってあげたい!って思う女性ナンバーワン!
いや、実際キャリー・マリガンのこの不安げな困惑する表情って、ピカイチなんですよね。
ミア・ファローを超えるのは相当のプレッシャーだったと思うけど、プラダやミュウミュウの衣装や小物で、可愛いキャリーが一層輝いていた。
どっちのギャッツビーが好き?
ロバート・レッドフォードはかっこいいですよね。佇まいが紳士って感じで品もある。きっと小説から抜け出てきたのはこちらかと思う。
レオナルド・ディカプリオはギラギラ感が強い。品もそんなにないけど(ひどい)唯一「デイジーが大好きっ!」感はレオの方が出ていた。
だからどっちも好き。
未来を想像する能力
この映画の何よりも伝えたいのは、ギャッツビーのポジティブシンキング。
ニックが「過去は変えられないよ。」というと
「過去は変えられる」と本気で信じ疑わない。デイジーとの失われた過去を取り戻すために全力を注いだギャッツビーは本当にかっこいい!
なりたい未来を思い描いて、実現に向けて突き進む力がかっこいい。
私も未来を思い描けるように、今日から目標を掲げていきたいと思いました。
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